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![]() ・・・と言っても、カナダ南部地方のことではない。カナダの音楽家とアメリカ南部ミュージシャンが結びつくと、 ミラクルかつマジカルな音楽が出現する不思議な現象(と思っているのは、今のとこ僕だけだろうけど)について 書いてみよう。 われわれ日本人がイメージするカナダとは、自然がいっぱい残っている国、ウィンタースポーツの国、森と湖の国、そんなものだろう。少し詳しい人だったら、フランス語と英語圏が混在している、とかケベック州は独立運動が盛んだ、とかメープルシロップはやっぱカナダのオーガニックに限るわな・・とかだろうか。 |
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![]() でもよくよく考えてみると、なじみのミュージシャンの多くがカナダ人だったり、カナダに縁があったりすることに気づく。 |
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![]() また、若きフィーメール・ボーカリストといえば必ず名前があがるネリー・ファータドもビクトリア生まれのポルトガル系カナダ人だ。 |
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![]() ゴードン・ライトフット、トニー・コジネク、ブルース・コバーンやレナード・コーエンは言うに及ばず、若手ではヘイデン、ルーファス・ウェィンライトそしてロン・セクススミス・・女性ではK・D・ラング、サラ・マクラクランにジェーン・シベリー。 また名前からしてメチャメチャイケてる「カウボーイ・ジャンキーズ」(だってカウボーイがジャンキーなんだよ!)や「ブルー・ロディオ」(だってロデオがブルーなんだもん!・・ってどんなんだろう?)などのバンドやユニットもカナダから離れることなく活動を続けている。 |
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![]() 後者は相手にしないもんね!いや、ちがった!今日は、そんな方々に語ってみたいのです! |
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![]() ダニエル・ラノワは、ブライアン・イーノに見いだされ、ピーター・ゲイブリエルに影響を受けた、何たって「U2」のアルバム「ヨシュア・トゥリー」のプロデュースで一躍世界的に有名になった人だ。ばりばりのカナダ人だが、ネヴィル・ブラザーズ(ニューオリンズ出身)の「イエロー・ムーン」で更に深くアメリカ南部と関わることになる。そのアルバムでボブ・ディランの「バラッド・オブ・ホリスブラウン」と「ウィズ・ゴッド・オン・アワーサイド」をカバーしていたが、それを聴いたボブ・ディランから直接自らのアルバムプロデユースを依頼される。それが本人の久しぶりの全曲書き下ろしによる1989年の傑作アルバム「オー!マーシー」であり、また1998年のグラミー受賞作「タイム・アウト・オブ・マインド」なのだ。またこの間、ウィリー・ネルソンのアルバム「ティアトロ」のプロデュースも手がけている。 |
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![]() 彼女は「レッキングボール」発表のすぐあと、同アルバムのベーシスト・ダリル・ジョンソンやバディ&ジュリー・ミラー夫妻、それにドラムのブレィディ・ブレイド(同アルバムの1曲目(ダニエル・ラノア作)の冒頭から小気味良いスネアーロールを響かせるジョニ・ミッチェルのお抱えドラマー「ブライアン・ブレイド」の弟さん)等とともに行った全米ツアーを収録したアルバム「スパイボーイ」を発表している。これまた素晴らしいライブアルバムだが、この「スパイボーイ」とは、マルディグラで本線とは違う方向へ進んでいく楽隊のことだ。おーこれはまさに女王による堂々たるオルタナ宣言ではあるまいか! |
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![]() ミッチェル・チャドコンビによるデビューアルバム「ロン・セクススミス」、2nd「アザーソングス」も大好きなのだが、幾度も地獄(シャブ中・アル中・ムショ暮らし!)を見た南部のスジがね入りのカントリーロック男、スティーブ・アール・・最新作「イェルサレム」では敢然と反ブッシュを歌い、そのアルバムは放送禁止になった・・そんな反骨のスピリッツがやさしくも哀しいロンの歌声にパワーを与え、単なるSSWアルバムを超えた力強いロックアルバムに変化させているように思う。残念ながら最新作は、スティーブ・アールのプロデュースではない。聞くところによれば、ロンは昨年離婚したのだが、今年めでたく再婚したらしい。そんな幸せなロンにスティーブは不要だったのだろう。カナダ人のリリシズムとアメリカ南部魂のミラクルな組み合わせはわずか一作で終わってしまった。残念な気もするが、1作だからこそのミラクルなのか。 |
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![]() だが先述のボブ・ディランは何といっても「ザ・バンド」とのコラボレーションによって、単なるフォーク・トラッドシンガーから、フォークロック界の巨人への道を歩き始めたし、アメリカ南部から発祥したロックンロールがイギリスに飛び火、イングリッシュインベージョンとなって先祖帰りし、元祖にショックを与えたあと、再びアメリカにロックの主流を取り戻すのに大いに貢献したバンドとして「ザ・バーズ」(その発展型としての「フライング・ブリトー・ブラザーズ」)とともにその名を外せない、「バッファロー・スプリングフィールド」(その発展型としての「CSN&Y」)は、カナダが産んだ世界最高のロックミュージシャンの一人ニール・ヤングを抜きにしては語ることはできない。また、70年代初頭の女性シンガーソングライターブームの一翼をキャロル・キングと共に担ったカナダ人ジョニ・ミッチェルも、その「CSN&Y」の「C」こと「デービッド・クロスビー」によって見いだされている。ここにもカナダと南部の絶妙の出会いがある。いや、そもそも「ザ・バンド」は、カナダ人のバンドといったが、ドラムスのリボン・ヘルムだけはアメリカ南部アーカンソー出身だ。彼が自らの出自であるアメリカ南部生まれのカントリーやR&B、ゴスペルの実際の手触りをその正確なドラミングと共に他の4人のカナダ人メンバーに伝えたからこそ、60年代前半から始まったイングリッシュインベージョンをしっかり受け止め再びアメリカにロックのイニシアティブを取り戻す60年代後半の代表バンドとして「ザ・バーズ」「バッファロー・スプリングフィールド」と共にその名を残すことになったのだ。(これを後に「3大“B”バンド」と呼ぶ・・のは僕だけです) |
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![]() 「そーかもね」・・・おいおい!自分で認めちゃってどーする!「いやいや」僕にはとても偶然とは思えない、むしろ何か必然があるのではないかと思えるのだ。 |
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以下、次回:後編へと続く... |
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